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誰かのために動く時 ⑥

last update Huling Na-update: 2025-07-07 22:51:58
──ヴィクターの暴走は、どんな手を使ってでも止めなければならない。それはリノアの為でもある。

「グレタに関する調査報告書だ」

 男はそう言って、アリシアに資料一式を手渡した。紙の角が擦れる音が、静まり返った空間に小さく響く。

 アリシアは紙束を受け取ると、そのうちの一枚にそっと指をかけた。ページがめくられる音は小さく、まるで誰にも気づかれたくない秘密をほどくかのようだった。

 アリシアの目が文字をなぞる。

 筆跡は整っている。だが、気になるのは所々に筆圧の揺らぎ……

 それは記録というより、祈り、隠しきれない焦燥、そして届くかも分からない誰かへの報せ。

 紙の上に残されたその情熱が、記録以上の意味を持っていることをアリシアは感じ取った。

 アリシアは視線を宙に泳がせ、長い睫毛の影に言葉にならない感情を沈めた。そして、ゆっくりと息をつく。

 これは、ただの報告ではない。意志の痕跡だ。

《禁足地・エクレシア領域外縁にて複数の不審人物を確認》

・対象は五名。先頭はグリモア村村長・グレタとみられる人物、ならびに大型の剣を携えた女戦士。

・残る三名は黒のマントに全身を包み、詳細な特定は不能。

・全員が禁足地領域内部より出現したと推定されるが、侵入時の記録は存在せず。

・目的不明、

 アリシアは報告書に目を落としたまま、一点を見つめた。これらの文字の先に踏み込まなければならない真実がある。そんな予感が脈のように鼓動を打ち始めていた。

 沈黙の中、アリシアは、そこに刻まれたわずかな綻びすら読み取ろうとするかのように、丹念に文面を追った。

「五人……それに黒いマント?」

 セラが報告書を覗き込み、目をぱちぱちと瞬かせた。

「クローブ村の近くで見た人影も同じくらいの人数だったよ。しかも全員、黒いマントを着てた」

 その声には驚きとほんの少しの不安が混じっていた。

「五人は居たかな。怖くて近寄れなかったから、どんな人たちなのかまでは分かんなかったけど……」

 セラの声の調子は軽いが、その目に浮かぶ色は真剣そのものだ。

「五人一組で動いているのかもしれないね。組織的なものかも」

 アリシアは報告書の文字を追いながら、淡々と推測を述べた。

 一つの偶然なら見過ごせる。だが、二度、同じように現れた五人という数字に、偶然という言葉は当てはまりそうにない。

 アリシアの視線は紙の上にありながら、
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